西川恵三教授は、医生命システム専攻の所属学生である清水嶺斗さんとともに、酸素濃度を1細胞レベルで定量計測する二光子励起顕微鏡法を開発することで、生きた動物の骨髄内で単球系細胞が晒されている酸素濃度域を明らかにすることに成功しました(図)。さらに、当該情報を用いることで、特殊なマクロファージ集団を誘導するための酸素濃度条件を特定しました。
骨髄は主要な造血組織であり、産生された血液細胞を輸送するための血管網が広く分布しています。 しかし、骨髄組織は極度の低酸素環境であり、骨髄に存在する様々な細胞は低酸素状態におかれていると考えられています。酸素は生体内のありとあらゆる細胞にとって必要不可欠な分子で、細胞は絶え間ない酸素供給のもとで正常な活動を営むことができます。この酸素供給が破綻した場合には、細胞は特別な分子機構を動かして、酸素欠乏(低酸素)に対して抗おうとします。これは低酸素応答と呼ばれ、2019年のノーベル生理学・医学賞の受賞テーマであることからもわかるように、非常に多くの生命科学者を魅了する研究対象になっています。実際に、低酸素応答の分子機構、低酸素関連疾患の病態メカニズムの解明やその医薬研究への応用がこれまでに精力的に進められています。このため、一見、低酸素応答機構がよく理解できてきたような錯覚に陥りがちになります。しかし、生体組織内の種々の細胞が晒されている酸素濃度は曖昧にされているために、細胞にとって低酸素状態とはどのような状態であるかは定量的にはわかっていない現状にあります。
西川恵三教授は、酸素を見る化学プローブと骨髄組織をライブイメージングする二光子励起顕微鏡法を活用することで、生きたままのマウスの骨髄の内部に存在する単球系細胞が晒されている酸素濃度を計測することに成功しました。その結果、生体骨髄における単球系細胞の酸素濃度は2.4%〜5.3%で維持されていることを明らかにしました。これは、骨髄組織に存在する細胞のなかの酸素濃度の情報を1細胞レベルで取得することに成功した世界初の研究成果になります。この生理的な酸素濃度範囲においての低酸素が単球系細胞分化へ及ぼす影響を検討したところ、低酸素環境下では細胞表面のタンパク質CD206やCD169を高発現する特殊なマクロファージ集団を誘導することが分かりました。
培養細胞を用いた細胞生物学的手法は、今や多くの研究者が汎用しており、生命科学研究には欠かせない実証手段となっています。しかし、培養実験のほとんどは、大気圧下の約21%の酸素濃度下で実施されており、この酸素濃度は生体内と比べてはるかに高く、超高酸素状態であるといえます。この超高酸素状態は、細胞内であり得ない量の活性酸素種の産生を生じるために、生体内とは大きくかけはなれた非生理的な細胞応答を生じることが指摘されています。酸素は、低すぎても高すぎても細胞にとって毒であるいわゆる諸刃の剣です。本研究が明らかにした正確な酸素濃度の情報は、単に低酸素応答の研究だけでなく、従来からの細胞生物学研究をより生体内の条件に近づけるための重要な知見となります。この生きた動物のなかの生体分子の量の正確な情報源は、今後、生体恒常性の乱れや疾患発症の機序を解明するための医学研究への貢献につながることが期待されます。
論文タイトル: Determination of the physiological range of oxygen tension in bone marrow monocytes using two-photon phosphorescence lifetime imaging microscopy
DOI: 10.1038/s41598-022-07521-9
著者: Ayako Narazaki, Reito Shimizu, Toshitada Yoshihara, Junichi Kikuta, Reiko Sakaguchi, Seiji Tobita, Yasuo Mori, Ishii Masaru and Keizo Nishikawa (corresponding author)